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「東洋のスイス」とも評された日本の精密機械産業の中心地で育み続けたものづくり精神。

諏訪地方は明治時代の製糸産業をささえた地域であり、日東光学の前身もまたこの業を営んでいました。しかし、昭和18年、転機が訪れ、カメラのレンズ加工という、まったく未知の分野へ180度の方向転換を果たしました。それから時代とともに、カメラだけではなく、光学機器を必要とするあらゆる分野に挑戦しました。
この果敢な挑戦スピリッツこそ、日東光学の伝統であり、連綿と継承されてきた企業DNAなのです。

長野県諏訪地域は、精密、一般、電気など機械系製造業の日本国内きっての工業集積地となっています。我が国製糸業の最大産地であった諏訪地域は、戦前から戦後にかけては多くの疎開工場がこの地に根をおろし、機械工業の一大集積地として発展を遂げました。現在では精密機械とともに電子部品分野でも高い評価を得る工業エリアとしてその価値を拡げています。
この発展はまさに、諏訪地域独特のDNAである、「必要なものは自分で作ってしまう発想の豊かさ」と、製糸産業で培った繊細な手作業による「技術力の高さ」によるものなのです。世代を重ねて進化してきたものづくりの遺伝子は、常に高付加価値を求め続ける日東光学にも受け継がれています。光学分野を核としながら、新しい技術分野に挑戦し続ける技術開発型企業として、日東光学は進化し続けます。

日東光学の沿革

1876年生糸製造を目的として「東英社」設立
1943年「日東光学機械製作所」を創業し、日本光学工業(株)と 提携し光学機器製造着手
1950年自社ブランドレンズ「コミナー」 の開発に成功
1951年法人に改組「日東光学株式会社」と称す
1961年諏訪市上川地区に上諏訪工場を新設
カメラ完成品製造を開始
1969年レンズ一貫生産体制をとる
1970年北安曇郡松川村に系列会社「株式会社日東光学松川工場」 を設立
レンズ生産体制を拡充
1983年情報器機等オプトロニクスの新分野に参入
1994年カメラ事業部「ISO-9001」認証取得
1996年インドネシアに三井物産(株)、現地グループと合弁会社
PT. ADIWIRA PRESISI INDUSTRIを設立しカメラの一貫生産を行う
1999年オプト事業部「ISO-9001」認証取得
2002年全事業所「ISO-14001」認証取得
合弁会社PT. ADIWIRA PRESISI INDUSTRIの現地アストラグループの全持株を取得し、同社を当社と三井物産(株)との二社による合弁会社に改組し、生産能力を拡充
2005年茅野市・丸山工業団地に工場用地(39,584㎡)を取得
2007年株式会社猩々精機の全株式を取得し、子会社化。金型製造の強化を図る
2008年東京事務所を神田から江東区南砂に移転
インドネシア工場の全株式を取得し、完全子会社化

デジタルスチルカメラ用レンズユニット



日東光学が初めて製造したカメラ1960年(昭和35年)



コミナーレンズ



1970年(昭和45年)頃のカメラ



1980年頃(昭和55年頃)の防塵カメラ



ズーム付き登場
1986年(昭和61年)



APSカメラ登場
1996年(平成8年)